習近平はなぜ香港国家安全維持法を急いだのか?

https://news.yahoo.co.jp/byline/endohomare/20200707-00186925/

 ※ このところ、遠藤誉氏の記事は、参考になるものが殆んど無いように感じていたので、あまり重視して来なかった…。
 この記事は、久々で参考になった…。
 『これらは全て、習近平の父・習忠勲が残した負の遺産からの脱却であることも見えてくる。6月18日付のダイヤモンド・オンライン「中国コロナ批判の逆風下、習近平が香港統治をゴリ押しする隠された理由」でも詳述したが、香港返還に当たり、コモンローを受け入れると最初に言ったのは習近平の父・習忠勲だ。1983年のことである。

 習近平にはその負い目があり、自分が国家主席である間にコモンローであるが故の司法の問題を何としても解決したいと思っている。次期指導者の政権まで未解決のまま残すと、今は亡き父親が又もや批判の対象となるかもしれないと恐れている。何と言っても父親は毛沢東によって反党分子のレッテルを貼られ、16年間も牢獄生活を送った歴史(冤罪ではあっても「前科」)を持っている。』という話しは、知らんかった…。

 「資本主義」ということが言われているので、オレの理解を語っておく…。
 「資本主義」とは、「資本自由主義」ということで、「生産手段」「利益を産出するもの」である「資本」の、自由な活動を「国家として」「法秩序」として「認める」ものだと、考える。平たく言えば、「自由に利益を獲得すること」を認める、「獲得した利益を、自分のものにする(私有する)こと」を、国家として、法秩序として認めるという制度だ、と考える。
 その前提として、人間の生存・生活にとって、「私有財産(自分のものである財産)」は、必要欠くべからざるものだ…、という認識がある…。
 そのさらに前提として、そういう「私有財産」は、「人間としての尊厳」には、必要欠くべからざるものだ…、という認識が横たわっている、と考える。
 しかし、現実社会においては、こういう「自由」を制度として肯定すると、「格差」が拡大してしまう…。「自由競争」の名の下に、「利益を獲得していく」能力に差異がある以上、それに長けている者とそうでない者の差異が生じてしまうからだ…。
 その「弊害」「問題点」を鋭く抉り出したのが、カール・マルクスの「資本論」なんだろう(全部を読んではいない)…。
 「人間としての尊厳」に資するものだったはずの制度が、結局は「人間としての尊厳」を破壊してしまうことになるという、大矛盾だ…。
 さりとて、この「私有財産」を否定して、「共産革命」なるものを起こして、資本家・大地主を打倒し、彼らからその「私有財産」を実力で奪取したところで、次の問題が生じる…。その「財産」を、どう「管理」していくのか、「誰が」管理していくのか、という問題だ…。「国有財産」「公有財産」「共有財産」と呼称を変えたところで、「どのように・誰が管理していくのか」という問題は、消えて無くなるわけじゃない…。
 「財産」というものが、「人間の生存」にとって必要不可欠であるということは、消えて無くならないし、数が限られている以上、それの争奪戦、あるいは、「その管理権」の争奪戦は、消えて無くなるものじゃない…。
 人は、永遠にそういうことを、争っていく存在なんだろう…。