「人権(自由)の制約」について…。

 毎年、「憲法記念日」の近辺には、「憲法」や「人権」の問題を考える慣わし(ならわし)にしている…。
 今年は、「コロナ騒動」で、かっこうの題材が提供された形だ…。「緊急事態条項」の話しだ…。

 この機会だから、日本国憲法の代表的な「人権規定」の条項を、見ておこう…。

『第2章 戦争の放棄
〔戦争の放棄と戦力及び交戦権の否認〕
第9条 日本国民は,正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し,国権の発動たる戦争と,武力による威嚇又は武力の行使は,国際紛争を解決する手段としては,永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため,陸海空軍その他の戦力は,これを保持しない。国の交戦権は,これを認めない。

第3章 国民の権利及び義務
〔国民たる要件〕
第10条 日本国民たる要件は,法律でこれを定める。

〔基本的人権〕
第11条 国民は,すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は,侵すことのできない永久の権利として,現在及び将来の国民に与へられる。

〔自由及び権利の保持義務と公共福祉性〕
第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は,国民の不断の努力によつて,これを保持しなければならない。又,国民は,これを濫用してはならないのであつて,常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

〔個人の尊重と公共の福祉〕
第13条 すべて国民は,個人として尊重される。生命,自由及び幸福追求に対する国民の権利については,公共の福祉に反しない限り,立法その他の国政の上で,最大の尊重を必要とする。

〔奴隷的拘束及び苦役の禁止〕
第18条 何人も,いかなる奴隷的拘束も受けない。又,犯罪に因る処罰の場合を除いては,その意に反する苦役に服させられない。

〔思想及び良心の自由〕
第19条 思想及び良心の自由は,これを侵してはならない。

〔信教の自由〕
第20条 信教の自由は,何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も,国から特権を受け,又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も,宗教上の行為,祝典,儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は,宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

〔集会,結社及び表現の自由と通信秘密の保護〕
第21条 集会,結社及び言論,出版その他一切の表現の自由は,これを保障する。
2 検閲は,これをしてはならない。通信の秘密は,これを侵してはならない。

〔居住,移転,職業選択,外国移住及び国籍離脱の自由〕
第22条 何人も,公共の福祉に反しない限り,居住,移転及び職業選択の自由を有する。
2 何人も,外国に移住し,又は国籍を離脱する自由を侵されない。

〔学問の自由〕
第23条 学問の自由は,これを保障する。

〔生存権及び国民生活の社会的進歩向上に努める国の義務〕
第25条 すべて国民は,健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は,すべての生活部面について,社会福祉,社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

〔教育を受ける権利と受けさせる義務〕
第26条 すべて国民は,法律の定めるところにより,その能力に応じて,ひとしく教育を受ける権利を有する。
2 すべて国民は,法律の定めるところにより,その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は,これを無償とする。

〔勤労の権利と義務,勤労条件の基準及び児童酷使の禁止〕
第27条 すべて国民は,勤労の権利を有し,義務を負ふ。
2 賃金,就業時間,休息その他の勤労条件に関する基準は,法律でこれを定める。
3 児童は,これを酷使してはならない。

〔勤労者の団結権及び団体行動権〕
第28条 勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は,これを保障する。

〔財産権〕
第29条 財産権は,これを侵してはならない。
2 財産権の内容は,公共の福祉に適合するやうに,法律でこれを定める。
3 私有財産は,正当な補償の下に,これを公共のために用ひることができる。』

 ※ 最初に言っておきたいことは、「基本的人権」と言えども、「無限定・無制限に保障されるものでは無い」ということだ…。


 「自由」とか、「権利」というものは、必ずや他者の「自由」「権利」と衝突する…。「私の自由は、あなたの不自由。」「あなたの自由は、私の不自由。」という関係にあるのだから、「当たり前」の話しだ…。


 そこで、必ずや「両者の調整、妥協」が必要となる…。そこを説明する「理屈」が、「内在的制約」というものだ…。本来、「自由・人権」には、「内在的な制約」があるのだ…、とか「理屈づけ」するわけだな…。


 「内在的な制約」というものがあるなら、「外在的な制約」というものは、無いのか、というのが次の問題だ。
 実は、ある。


 というのは、「福祉国家」なるものの実現は、「私有財産権(財産権)」を強力に制限しないと、実現不可能だからだ…。


 例えば、「生活保護」の実現、「義務教育の無償化」の実現、「労働者の労働権(より良い環境で働く権利、より良い賃金ではたらく権利など…)の保障」の実現、「児童・女子などを過酷な労働環境から守ること」の実現など…。これらの実現は、「私有財産(財産権)」を強力に制限しないと、到底実現は不可能だ…。

よく、立憲民主や共産党あたりが、「企業の内部留保は、けしからん!」とか、「このコロナ事態の今こそ、内部留保の放出を!」とか言っているが、「企業の内部留保」って「株主」の「私有財産」だぞ…。何の「補償」も無いのに、国家権力でその放棄を強制するなんてことが、日本国憲法のもとでできようはずが無い…。


 しかし、「日本国憲法」は「福祉国家」観に立脚はしているとは考えられるんで、一定程度は「財産権の制約」も許容していると解されている…。


 12条、13条は「一般的人権条項」と解されている…。その位置からして、人権規定の「総論」的な位置にあるからな…。そこで、ここで言っている「公共の福祉」は、人権相互間の調整を意味する「内在的な制約」を言っているもの…、と解される。


 29条2項、3項の「公共の福祉」「公共のために」は、そこから一歩踏み込んで、「福祉国家」実現のための「外在的な制約」を規定したものと解される…。


 このように、「人権の制約原理」にも、二種類のものがある、というのが通説的な見解だ…。


 それから、「人権」のほうにも、「他者への影響の度合い(程度)」で斬った場合、段階がある…、と考えられる。


 既に、精神的自由>財産的自由だった…。前者は、内在的な制約のみが可で、後者は外在的な制約も可…、だった。

 さらには、「精神的自由」にも段階がある…、と考えられる。


 内心の自由(思想・信条の自由、信教の自由、学問の自由)>集会,結社及び言論,出版その他一切の表現の自由


 21条は「集会,結社及び言論,出版その他一切の表現の自由」と並べて規定しているが、「他者への影響の度合い(程度)」という観点からは、並列ではあり得ない…。


 「集会の自由」なんては、「届出も無しに」、あちこちで勝手に「集会」されたんでは、迷惑こうむって大変だ…。交通渋滞だって、起こりかねない…。
 「結社の自由」も、「志を同じくする者同士が、結集して、何が悪い!」と言うんだが、「オウム真理教」みたいな「カルト教団」のようなものの「結社の自由」を肯定する人は、少ないだろう…。またまた、サリンみたいなものを、撒かれたんじゃ、堪ったものじゃないからな…。


 「表現の自由」だって、同様だ…。あらゆる「表現」が「無制約に」認められるわけが無い…。
 『刑法第230条
 1項 公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する。
 2項 死者の名誉を毀損した者は、虚偽の事実を摘示することによってした場合でなければ、罰しない。』
 名誉毀損罪の成立には、「公然と」「事実を摘示」することを要する。ここで、「事実を摘示」とは、2項との対比から、「たとえ、それが真実であっても」と解されている。「その事実の有無にかかわらず」と、念押ししているしな…。
 「たとえ、それが真実であっても」それを「公然と」指摘して、他者の「名誉を毀損」する言論は、まかりならん…、とされているんだよ…。


 というわけで、同じく「人権・自由」とは言うものの、「他者への影響の度合い」に応じて、「制約の許容程度」には、段階がある…、と考えられる…。
 例えば、「集会の自由」とかは、「他者へ影響する度合いが、大きい」から、「届け出制」とすることも、許容される…。しかし、「学問の自由」「宗教の自由」について、これを国家に「届け出る」なんてことは、許容されんだろう?


 そういう風に、「人権・自由」の許容され得る「制約」というものは、「伸びたり、縮んだりする」ものなんだ…。