民主主義の基盤の考察(その1)

※ 以下の投稿は、2年前に作って、お前にメールしたものだ。
 しかし、オレにとっては、これが原点だ…。
 常に、ここに立ち還って、制度のことや、体制のこと、世界における日本国の戦略のことなんかを、考えて行くんだ…。
 そういう意味で、自戒を込めて、ここにも貼っておく…。

 この頃は中国の国家としての台頭、北朝鮮の暴走、イギリスのEU離脱、トランプのアメリカの出現、EUでの右翼の台頭など「民主主義」とは何かって問題について再考を迫るような事象が続いているんで、それについてのオレの考えを語っておきたいと思う。

 近代化とは、大きく言って政治面での近代化と経済面での産業革命と2つの側面から捉えることができると思う。

 政治面での近代化は、王政を倒すこと(イギリスの清教徒革命(クロムウェル革命)、フランスのフランス革命)による共和制の樹立に代表される民主制の樹立だ。

 経済面での近代化は、産業革命による生産手段の大変革だ。もちろん両者は密接に関連し、イギリスにおいては羊毛生産者と毛織物生産者が大成功し、彼らの経済活動の拡大の要求と王政下の下級官吏・下級将校の政治力拡大の要求が手を結んで王政打倒が実現された。

その時の思想的支柱が、「そもそも政府は、国民の幸福実現のために存在するもので、政府の権力は国民が契約によって付与したものだ。」(社会契約説)、「国民の利益や権利を侵害するような政府を、国民は抵抗することによって打倒する権利を有する。」(抵抗権)などの考えだった。

これらの政治的な思想は、「民主主義」と呼ばれるが、実は矛盾を内包している。

近代的な政治思想によれば、国民一人一人は「個人」として尊重され、生まれながらにして有するいかなる政治権力も剥奪することのできない「人権(human righits)」を有し、国権の最高の意思決定は最終的には「国民」にある、とされるが、その「国民」って具体的には一体誰なのよ、という問題だ。上記の社会契約説や抵抗権の考えからすれば、政府によって権力を行使される(統治される)すべての人間ということになりそうだ。すなわち、国家による統治権が及ぶすべての人間ということになる。

実際、上記政治闘争(市民革命運動、と呼ばれる)の初期においては、有力経済人や下級の官吏・将校が主力だったが、運動が拡大していくにつれて一般の民衆も参加していくようになり(もちろん初期の主力勢力側も、自分達に事を有利に運ぶため、積極的に扇動していった-大衆動員だな)、いざ王政打倒が実現し、新たな政治体制を作る段階に至ると、革命勢力内部での利害対立(自分たちの権利を最大限実現したい民衆側と、これを抑制したい有力経済人などの側の対立)が生じ、血で血を洗う闘争が行われた(イギリスにおける反クロムウェル闘争、フランスにおけるジャコバン派独裁に対するテルミドール9日のクーデターなど)。

結局、民衆代表による直接民主制的な統治は、政治経験の未熟さなどからうまくいかないということが学習され、イギリスでは王政が復活(処刑されたチャールズ1世の息子が亡命先のオランダから呼びかけた)し、フランスではナポレオンによる大統領制(ナポレオン自身は、下級将校の出身で一応選挙によって選出されたが、その権限は王政下の国王と殆ど変わらなかった)となって落ち着いた。

 これらの歴史をざっくりまとめると、国民主権を叫んでの王政打倒-民衆代表
による直接民主制的政治-その失敗-直接民主制的な政治制度の修正、というこ
とになる。

 疑問なのは、国民主権の考えからすれば、民衆代表による直接民主制こそ国民
主権を実現する政治制度ではないのか、なぜそれが失敗に終わっているのかとい
う点だ。

 実は、国民主権による政治がちゃんと機能するには、その前提条件がある、と
いうのがオレの考察だ(制度には、必ずそれが妥当する基盤と妥当する範囲があ
る、ってのがオレの持論だ)。
 その1:政治に参加する(立候補して議員になる、議員候補者を吟味して投票
する)国民にそれを実現するに足りる能力が備わっていること(一定水準の知的
能力)。
 その2:一国の政治は、結局は諸勢力の妥協の産物で、自分だけの利益が10
0%実現されるものではない、ということを充分わきまえていること(自己抑制
の能力)。
 その3:各人の利益を声高に叫んでその実現を迫れば、結局は制度を支えてい
る基盤を崩し、ひいては多くの人の利益を害する結果となることを、充分わきま
えていること(自分だけでなく全体に目配りできる能力)。
 その4:議論においては、自分の利益も十分に主張するが、一旦決定が下され
れば鉾を納め、それに従う度量を持っているいること(自分に不利な決定にも耐
えることができる能力)。
 その5:もちろん制度に絶対はなく、社会・国際情勢と共に変化させていくべ
きものなので、不断の検討と制度自体の改良を怠らないこと(政治制度に関心を
失わず、継続して考察し続ける能力)。

 再言すれば、一定の知的水準を持ち、自己抑制でき、全体のことを考え、不利
な決定にも耐え、不断に考察し続ける国民でなければ、民主制なんてのは機能し
ないだろ、って話しだ。世界のどの国も、「民主国家」を自称するが、その前提
条件を備えている国家はあるのかよ(日本国も含めてな)、って話しだ。

 それで、実際の諸国が採用している処方箋は、間接民主制を主とし、直接民主
的な制度を極力抑えるというものだ。

 日本国憲法においても、国家の意思決定は選挙で選ばれた国会議員が決定し、
直接民主制的な制度(国民の意思が「直接」国政に反映される制度)は、2つし
かない。1つは、最高裁の裁判官の国民投票(任官して初めて行われる衆議院選
挙の際に、一緒に行われることになっている。罷免したほうがよいと考える裁判
官の名前の下の欄に×印をつけるというもの)。2つ目は、一地方公共団体にの
み適用される法律に対する、その適用される地方公共団体の住民による承認の投
票(例えば、東日本大震災の復興費に充てるため、岩手・宮城・福島の住民だけ
に特別税を課すなんて法律の承認のような例が考えられる-実際例を、オレは知
らない)。この2つだけだぜ。